或る日の石山龍太郎

また夜が明ける。いったいいつになったらずっと夜のままでいてくれるのだろう。石山はため息ひとつついてうーん、と唸り声をあげた。体は疲れ切っていて、かすかな絶望が浮遊している。あの、夜が明ける、薄暗い、しかしまた新しい1日が清々しく始まりますよ、というような、みんなに待ち遠しくされていることが自分でも分かっていて、あえて、何時間も暗闇のなかに身を潜めるあいつのその性質が気に入らないのだ。

煙草を一本ふかしながら、石山はなぜあいつが季節ごとに決まった時間に顔を出すか考えていた。地球は自転しているからとか、すこし傾いているから、とかそういうものはどうでもいいのだ。要は自分の生活にどうしてこれほど相容れないものが世間的に受け入れられているのかということだ。どうしてあいつは決まって顔を出すのだろう。しかし、石山自身、世間に溶け込もうとする気力は皆無であり、その概念すらも持ち合わせていなかった。

ほのかな赤色の空をベランダから眺めているとここから飛び降りてしまおうかな、とふと考える。ちょっと下を覗いてみる。石山はアパートの4階に住んでいる。地上まではおおよそ10メートルほどある。おそらく死ぬだろう。それも良いな、と考える。また明日もあいつとこんな灰色の気分で鉢合わすくらいならば死んだほうがマシだ。足を柵にかけてみた。頑丈である。石山の軽すぎる体重も相まって、まったくグラグラしない。石山はホッとしたような、ホッとしている自分がひどく憎たらしいような、解けない感情に陥った。ホッとした自分に腹が立ち、今度は柵に乗ってみた。一気に地上がまた遠くなる。石山はなんだか楽しくなってきた。ここから先は、もう、石山の生死はなんらかの、まったく偶然的なものか、または必然的なものに完璧に左右されるのだ。地上はコンクリートの道路である。あれならば、石山の、骨ばかりの身体をぐしゃぐしゃにしてくれるだろうか。石山ははじめてコンクリートに愛着が湧いた。生死の狭間でようやく気づくような対象だったなんて。凶器を凶器と認識できないのは対象物の利用用途への甘えだ。こんなに身近にあったのだ。「歯で縁石を噛め」そう言って映画のなかでエドワード・ノートンが黒人を地面に突っ伏させて首を折るシーンをぼんやりと思い出した。使おうと思えばなんでも都合の良いように使うことはできるのだ。

さて、どうしようか。風は吹いていない。不幸なことにバランス感覚もある。鳥が衝突してこないかな、と思った。吃驚するものなら、一羽でも、群でも、なんでも良いのだ。鳥でなくても良い。核ミサイルでも、おもちゃのヘリコプターでも、なんでも良い。偶然に石山を赤色のほうへ誘ってくれるものが突如として現れる必要があった。石山は元来保守的なのだ。保守的な自分が嫌いであったことを思い出した。挑戦。自分への突破口。「死んだら終わりよ。」先輩の口癖だ。「糞食らえ」石山はそう呟いた。その前に一度煙草を吸っておこうと思い、そろそろと柵を降りて引き返した。